証人として生きる祝福

創世記 26章 12節-18節 

12イサクはその地に種をまいて、その年に百倍の収穫を得た。 このように主が彼を祝福されたので、13彼は富み、またますます栄えて非常に裕福になり、14羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべを持つようになったので、ペリシテびとは彼をねたんだ。

12 ○이삭이 그 땅에서 농사하여 그 해에 백배나 얻었고 여호와께서 복을 주시므로 13 그 사람이 창대하고 왕성하여 마침내 거부가 되어 14 양과 소가 떼를 이루고 노복이 심히 많으므로 블레셋 사람이 그를 시기하여

アブラハムの子イサクが祝福されました。まいた種から、なんと100倍の収穫を得たのです。さらに家畜もイサクに仕える多くの者も得られたと聖書は記しています。 

しかし、祝福とともに周辺の民族からねたまれ、転々としなければならなかったと記しています。 ここで、主なる神様が下さる祝福は何なのかについて深く考えさせられました。100倍の収穫や沢山の家畜などの祝福は非常 に喜ばしい事でありますが、他国で住む私の立場として安定的な住み方、安全な環境は物質的な条件より重要ではないかと思いました。なぜ、イサクは追い払われる様になったのか、それは周辺の異民族たちにとってイサクは脅威的な存在であったからでしょう。

 聖書の神様は私たちを祝福し、守って下さるのです。ところはその祝福は私たちが信じる創造主を証しするための道具であり、創造主を敵対するすべての敵から守って下さる事です。すなわち、主から祝福されたイサクはその神の名をもって周りの異民族らを助け、祝福し、宣伝する事に心かけて仕えなければなりませんでした。私たちが学ばなければならないのは、私たちをも必ず祝福されると信仰をもって、これからもイエスの愛を伝える証人として、教会周辺の人々を、日本を仕えなければなりません。その時主は私たちを力強く支え、守ってくださってこの地を祝福されます。