オデー・アドナイ

(I will Praise 나는 감사하리라) 

詩篇 9篇 1-2節

「心を尽くして私は主に感謝をささげます。あなたの奇(くす)しいみ

わざのすべてを語り告げます。私はあなたを喜び誇ります。いと高き 方よあなたの御名を褒め歌います。」

“1 내가 전심으로 여호와께 감사하오며 주의 모든 기이

한 일들을 전하리이다. 2 내가 주를 기뻐하고 즐거워하

며 지존하신 주의 이름을 찬송하리니” 詩篇111篇と似ている、9篇は詩人により主に祝福された者の

有様を見せています。1節で「心を尽くして主に感謝をささげ、主 のくすしい(神秘的な事)みわざのすべてを語り告げます。」と 告白しました。すなわち心を尽くして主に感謝をささげると共に、主 の驚く業績をことごとく伝えますという事です。これは詩人と同じく主 なる神様を信じる者が日々思い、なすべき事だと思います。この ような告白が出来たのは、2節を見ると「主を喜び誇る」からでし た。

造り主の子である私たちに、求められているものは「すべての

事について、感謝する」事でした。しかし、私たちが心を尽くして 主なる神様に感謝できず、主なる神様の良いみわざを伝えにくい 理由は、主を喜ぶ事と誇る事が真心でできてないからかもしれま せん。それで、私たちに一番必要とされるのは「主を喜び誇る思 い」を回復する事ではないか強く思います。

今日讃美する430番では、「主と共に行く道いかにもうれしい

」と歌います。主なる神を喜び誇る事を自分の力のミナモトとする べきです。このような思いと心を持って歩む人々を聖書では「クリ スチャン」と言いました。(使徒11:26)

ある人が言いました。「歌は、歌までは歌ではなく、愛は表現 されるまでは愛ではなく、祝福も感謝するまでは祝福ではない」と

すべての主の御業を感謝し、ほこりを持って伝える日々を歩みま

しょう。そしてコロナ19によって変わりつつある今では、これも主 のみ旨であり、主を呼び求める者は救われると自分の心にて堅く 留めて歩みましょう。それが究極の勝利への道ですから…

主は、生きて居られる。