主なる神様が受け入れる礼拝

エゼキエル書 43章 26-27節

「七日間にわたって祭壇のための宥め(なだめ)を行い、それをきよめ、聖別す る。この期間が終わり、八日目とその後は、祭司たちが祭壇の上で、あなたが たの全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げる。そうすれば、わたしはあな たがたを受け入れる─神である主のことば。」

 “이같이 칠 일 동안 제단을 위하여 속죄제를 드려 정결하게 하며 드 릴 것이요 이 모든 날이 찬 후 제 팔일과 그 다음에는 제사장이 제 단 위에서 너희 번제와 감사제를 드릴 것이라 그리하면 내가 너희를 즐겁게 받으리라 주 여호와의 말씀이니라” 

本文は、祭司による「なだめの供え物を捧げて、祭壇をきよめ、聖別」せよ。と 主の命令が記されています。 「宥(なだ)めを行い」という事は「宥めの供え物をささげなさい。」という事で す。ここで「宥めの供え物」と訳された言葉は、他の訳で見ると、「あがないの 供え物」(口語訳)、とも訳しています。何を意味するのかと言うと、罪に よって造り主と人の間にある、壁を無くすために「贖罪の供え物」をする 事です。ところが、主なる造り主は私たちに対する、その「善」と「義」は 永遠に変わらないので(詩89:34)、主と和解を得るために「供え物」を献 げる必要のある側は私たち人間だけです。それで旧約時代には礼拝を捧 げる前、祭壇にて「自分の過ちや罪を背負わせた供え物を献げる」事が良 くありました。これは、主の命令でした。律法とも言います。これを通 して過ちや罪などが赦されて聖別された事です。特に今日のところで は、主が言われました。「祭壇のために宥めを行い」なさい。「そうすれ ば、わたしはあなたがたを受け入れる」と。要するに、祭壇は礼拝の事で すが、礼拝を捧げるあなた方はまず、神様と「和解」を得て、「受け入れら れる」礼拝となるため「宥めを行いなさい。」  礼拝は、信仰生活において 基本であり、祝福のミナモトであります。だから主なる神様が受け入れ られる礼拝をささげなければなりません。そのような礼拝のために、三 つのポイントを思えましょう。  一つは、宥めを行う事は「罪を認め、悔 い改めなさい」という事です。二つは、7日間にわたってしなければなり ませんでした。これは、最後まで従順に従わなければならない事です。 三つ目は、神である主の言葉を信じる事です。要するに信仰です。 これにより、主なる神様は私たちが捧げるこの礼拝を喜んで、「受け入 れて」下さるのです。真の神様が認める礼拝には必ず聖霊様の働きがあ るのです。主の再臨が近づいている今、主の御座に信仰を持って進みた いです。