より良いものを得るために諦めるのが信仰です

エゼキエル 書 33章 1-6節 

本文は、見張りの警告を聞き入れる者は自分の命を助かるが、聞き入れ なければ「その血の責任は彼自身にある」と言われ、命の責任の保証がな く、自分の責任である事を言われました。すなわち造り主の警告を無視 すると裁きを避けられない事です。ノアの箱舟が思い出されます。彼は 巨大な箱舟を作りながら、主が定められた日を120年間待ち続きまし た。しかし、救われた人はたったノアの家族8人だけでした。また、ソド ムとゴモラが主の刑罰を受ける直前、ロトの「娘たちを妻にしていたむ こたち」が思い出されます。創世記19章14節「しかし、彼の婿たちには、 それは悪い冗談のように思われた。」  造り主の警告を無視した結果は 残酷なものでした。 

コロナ19は、この世の最後の時代を備えさせる主なる神様の角笛の警告 です。なぜなら、聖書で預言されている艱難が本格化される時が遠くないからです。その艱難は今まで経験したこともない、歴史上一度も無 かった艱難であります。聖書ではこのように記しています。ダニエル書 12章「1また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかった ほどの悩みの時があるでしょう」、ヨエル書2章「2このようなことは昔 からあったことがなく、後の代々の年にも再び起ることがないであろう」、マタイの福音書24章「21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである」 

要するに、コロナ19で世界が揺動される中で、これから起こりうる大 患難の時、主イエスを信じるクリスチャンはどのようにして信仰を守り、再臨される主イエス・キリストの福音を伝えながら待ち望むべき なのかをみ言葉を持って知恵深く考える必要があるという事です。第 Ⅱコリント10章13節で「神は真実である。あなたがたを耐えられないよ うな試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」と約束しています。怖い事はありません。主なる神様だけを信頼するのです。神は共 におられ、導き、助けて下さるからです。今日のエゼキエル33章11節 で「主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜 ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ」言われまし た。最後の審判は私たちに対する者ではなく、神の義から離れた、信 じない者に定められた約束ですから…この方は、今日も私たちにこの様 に言われます。箴言3章「5 心をつくして主に信頼せよ」と…